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​袋宮寺について

歴 史

 袋宮寺は、熊野神社(現在の城西大橋そば)の別当寺として4代藩主信政公によって置かれたとされますが、明治時代の神仏分離政策によって熊野神社と分離されました。現在の堂舎はもと報恩寺の無量院観音堂であり、同じく明治時代に報恩寺内の子院が廃止された際に袋宮寺の名称を引き継いで独立することとなりました。

 

 報恩寺の無量院観音堂の創建は、「天台宗諸寺院縁起志」に延宝5年(1677年)8月建立とあり、「国日記」には翌6年5月に入仏供養があったと記されていることから、延宝5年に観音像が完成し、翌年に本堂の荘厳を終えて供養が行われたものと考えられます。

 

 報恩寺は、将軍菩提所である上野寛永寺と親交のあった4代藩主信政公により津軽家の菩提寺として創建された寺院でしたので、現在のように常時拝観できる状態ではなかったようで、享保20年(1735年)に観音堂修復のためのご開帳が行われたという記録があります。

​ 現在の袋宮寺には、熊野神社の別当寺出会った頃の文化財は伝わっておりませんが、津軽家菩提寺の一部として建立された堂舎と、本尊の十一面観音菩薩の勇壮な姿が現在に伝わります。

​十一面観音菩薩立像

 袋宮寺の本尊である十一面観音菩薩立像は、別名「背高観音」と言われ、高さが約6メートルに及びます。本像は青森県内に残る江戸時代までの仏像の中で最も大きく、東北地方でも屈指の巨像です。

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